プロデュースという上場企業がありました。
昨日はあまり重い適時開示もありませんでしたので、
たまには適当なエントリーを。。。
プロデュースの事例がまた騒がれだすようになりましたが、
その中で思うようになってきたことがあります。
会計士が最初から粉飾に関与しているとわからへん内部統制の限界という言葉があります。
どちらかというと監査論の世界において、
内部統制を完全に信用するとあぶないよ、
というような意味で使われることが多い言葉です。
典型的な事例として挙げられるのは、
経営者不正でありまして、
構築主体によって内部統制が無効化されている場合には、
間違ったことを正確に実行してくれる、
そういう仕組みに化けてくれるわけです。
その観点からしますと、
今回のオリンパスの反応というのは実にわかりやすい。
あの会社は内部統制がしっかりしているんですよ。
非常に悪い意味で。
さて、本題に戻りますが、
これまで「内部統制の限界」という言葉については、
会計士的視点から使われることが多かった印象があります。
で、改めて投資者のリスクという観点から考えた場合に、
もう一つ意識しておくべきものがあるのではないかなと。
「外部統制の限界」
会計士などがグルになっているケースというヤツですね。
決して監査論の中では語られることのない。。。
監査論の中では、会計士は騙されうる主体としての登場が普通で、
騙す主体として描かれることは稀ですからね。
ただし、投資者的視点からしますと、
無視できないものだろうなと。
それに改めて気づかせてくれたのがプロデュースの事例でした。
「監査人もグルかもしれない」
投資者側で意識してもいいのではないですかね。
その際に注意しないといけないのは、
クライアントの質ももちろんでありますけれど、
クライアントの数というのも大事なんです。
監査人の独立性という観点からしまして、
生活がかかった監査というのは危うい。
クライアント分散できていたほうが、
言うべきことが言いやすくなるんですよ。
正常な判断がしやすくなるという意味では、
「生活のかかったギャンブルは失敗する」
という格言に通じるところはあります。
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マイドです。
仰るとおりで、監査人に騙される可能性があるとするなら、監査人はいらんのです。
そういう意味でも、監査報酬決定権は経営者に渡してはまずいのですが。。。
SESC監査という点ですが、個人的にはアリだと思います。
「ふざけたファイナンスをした会社はSESC監査も受けなさい」
という対応とか、いかがでしょう?
当然ですね。
しかし、そこを疑わなきゃならないようなら、そもそも監査人なんか必要ないです。
SECだけで監査するか、今のままなら厳罰化しないと抑止力が足りないような。
粉飾で数億は市場からぶっこ抜いて来られますからね・・・
食い詰めてる会計士がその辺に転がってる状況もなんとかしないとですが。
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